広浦の秋月2015/09/28 10:10:00

今回の旅の切掛に為ったのは、浅草橋のグラシアで知己を得たオルガニストの森さんのリサイタル。 水戸芸術館で月曜日の夜に行われる事に為って居た。 前夜の日曜日が「中秋の名月」で、当日の十六夜がスーパームーンに為る。 折角の訪問だったので、水戸近辺で月を撮るのに適した場所をチェックすると御誂え向きの処が有った。 江戸幕府最後の将軍で有る徳川慶喜の実父、水戸藩第9代藩主の徳川斉昭(とくがわ なりあき:諡号は「烈公」)が選定した「水戸八景」のひとつ、「広浦の秋月」。 斉昭公が詠んだ漢詩、「水戸八景」は「月色玲瓏(れいろう)たり広浦の秋」と読み下される。

大空のかけをうつしてひろ浦の なみ間をわたる月そさやけき

涸沼の北岸の東端に位置する広浦から見る涸沼は特に美しいとされ、親沢の岬越しに筑波山を望み、其上に輝く秋の名月を佳しとした。 当時の親沢の岬は現在よりも涸沼に突き出て居て、恰も「天橋立」の様で有ったと云われて居る。 其処に松並木が乗り、月夜に更なる趣を添えて居た物と推察される。 天保11年(1840年)の十三夜(旧暦9月13日)、斉昭公は広浦の名月の観賞に側臣らと共に船で広浦を尋ねたと云う記録が有る。 新暦換算だと10月8日に為るが、此夜の名月は21時過ぎに正中(水戸で計算)し、月齢は12.4程だ。 そ、そうか、斉昭公の愛でられた名月は十五夜では無く、十三夜だったのか! 其時に斉昭公が詠んだ和歌が残って居る。

浪の色も空にかよひてすめる夜の 月の光も広浦の月
広浦の浪にやどして遠方の 山のあなたの月を見るかな

矢っ張り、筑波山の名月を詠まれて居る。 当夜に筑波山の上に名月が掛かる時刻は、午前3時20分頃。
広浦の秋月-02
此れは「天体山望」に依る其のシミュレーションだが、構図的にも良いし薄明迄の時間も充分だ。 流石は斉昭公、良く弁えていらっしゃる。 だが、此の時刻迄起きて居ないとこうは見えないので有る。 小生ももう1回広浦迄行かなくては…片月見/を避ける為にも、ね。 尚、2015年の十三夜は10月25日なので、26日の未明を待つと此の位置関係に為る。
一方、此夜の様に十五夜だと名月が筑波山の上に来るのは午前4時頃に為る。
広浦の秋月-01
もう少し傾いた位置の方が構図も良いし、湖面反射等も麗しいのだが、天文薄明に追い掛けられ、空が白んで来る。 其れでも、こんな構図で撮る心算で遣って来たのだが…


午前1時に起きて、2時丁度に再び広浦に到着。 途中で兎が飛び出して来たので、急制動を掛けたらカーナビにうんと怒られた…兎に云ってよね。 日中に下見をしたのは正解で何事もスムーズだ。 だが、ほぼ全天の雲…処々に隙間が有る位で、宵の好天は何処へ行って仕舞ったのだろう。 時々雲が引くとオリオン座や冬の大三角形も見付かる。 名月は雲から出たり入ったりだが、徐々に雲間の隙間が狭く為って行く様だ。 オイオイ、どう云う事なのかね… 其れでも、機材を背負って湖畔に向かう。 畏れ多くも保勝碑の脇に三脚を立てさせて頂いた。 碑は1m程の高さの石垣台座の上に有るし其処はフラットなので、撮影には最適なのだ。 丑三つ時にぼっちは怖いと思って居たのだが、こんな時刻でも釣人は沢山来て居らして、ヒュンヒュンと竿を撓らせて糸を飛ばして居る。

広浦の秋月-03
雲間から覗き込む様に現れた処をドラマチックトーンを掛けて撮った。

広浦の秋月-04
スポットライトの真中に釣人を入れて見たのだが…策に溺れた感が(笑)。

まぁ、こんな天気でした。 最新予報では何処も晴れだったし、後刻に「天気実績」をチェックしても晴れだよ…嘘、雲量8以上だったもん。

コメント

トラックバック