撮って見た 其の462012/05/20 23:23:00

小繁縷(コハコベ)
撮って見た 其の46-1
花のイメージに似わない「繁縷」は中国名を其儘用いて居る。 此れは茎に目立つ筋が有り、此れを「縷(る)」と呼ぶからだ。 和名の由来は、小生が良く引用する「本草和名(ほんぞうわみょう)」には、波久倍良(はくべら)の名が記述されて居る。 此れが転訛したと云うのが通説だ。 ナデシコ科ハコベ属の越年草。 学名は「 Stellaria media 」だが、Stellaria は、ラテン語の「stella(星)」だそうだ。 確かに、"Twinkle, twinkle, little star"のイメージの有る花。 花弁は5枚だが、深い亀裂でふたつに分かれて居るので、10枚に見える。
祖母が金糸雀(カナリア)を飼って居た。 小学校の帰りに此の花を摘んで帰るのが日課だった頃が懐かしい。

  カナリヤの 餌に束ねたる はこべかな       正岡子規

人間様も七草粥の「ハコベラ」(ベラは群がると云う意味)として此れを喰して居たが、正月以外にも御浸等で使って居たらしい。 生薬の繁縷(はんろう)として、利尿等の薬効も説かれて居るが、効用は定かでは無い。 「元祖歯磨粉説」も良く語られる話だ。 繁縷と云えば、現在はこの小繁縷を指して居る事が多い。 以前は、史前帰化植物の緑繁縷が代表だったのだが、大正時代に欧州から渡って来た、繁殖力旺盛な小繁縷が其の地位を奪い取った。 だから、気が付かない内に春の七草の「ハコベラ」も昭和の何処かで切り替わったに違いない。 最初に小繁縷を発見したのは、我が敬愛する牧野富太郎先生だったと聞いた。 一度、古き緑繁縷を探しに行こう。

島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」は、一寸した文学青年/少女なら口にする詩だが、其処に此の花が詠われて居る。 此方も緑繁縷だったのだろうな。

  小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
  緑なす繁縷は萌えず 若草も藉(し)くによしなし

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深山黄華鬘(ミヤマキケマン)

撮って見た 其の46-2

今回は深山黄華鬘。 
撮って見た 其の46-3
双方共に、ケシ科キケマン属の越年草。 属を代表して居るのは黄色の方(基本種は風露華鬘)で、似た様な黄色い華鬘草が複数有る。 大きく伸びる黄華鬘では無くて、此れは、どうやら深山黄華鬘の様だ。 深山と云う割には山奥には生えない天邪鬼な奴。 面白い花形をして居るので、距の様子が判る様に背後からアップで収めた。
紫華鬘同様にアルカロイドたっぷりの毒草。 此方は手折らずとも近付くだけで異臭を覚える。 近くで深呼吸すると吐き気がするとの情報も有るので、喰事前は避けるが懸命かも。 フォトもマクロ撮影は程々にしないと(笑)… キケマンがキケンに読めて来た。

撮って見た 其の46-4
因みに「華鬘(けまん)」とは、良く仏殿の長押(なげし)に掛けられて居る造花状の垂れ下がった飾りを指す。 此に似て居るからこの名前が付いたと云う。 しかし、法事の際にじっくり観て来たが、似て無いなぁ… 鯛釣草とも呼ばれるコマクサ属の華鬘草の方の話だろう。
撮って見た 其の46-5